世界の学校から

風来坊が綴る、世界の教育現場のあれこれ

マルチカルチャーで育った結果、小6息子がたどり着いた先は…

昨日、こんなブログを書いていたら、今、ダブルスクールで日本の公立学校に通わせてもらっている息子が卒業文集に載せる作文を書いて持って帰ってきた。

二つの意味で涙が出そうになった。
  私が一番大事に思っていることが息子に伝わったこと
  日本語で自分を表現できていること

「六年間の思い出」「夢」「成長」のテーマで息子が書いた作文(下書き)

 僕の小学校の6年間はとても特別です。それは、僕はその6年間のうち1年しか日本に過ごしたからです。1年生と2年生の時はフランスで住んでいて、3、4、5年生はアメリカ、そして最後に、6年生は日本で過ごしました。僕が、この文を書くことにしたのは、たくさんの国の考え方、働き方に触れてできた思い出を皆さんに伝えたいからです。
 1年生の時は、7歳でフランスに住んでいました。僕がその学校に入った時はすごいショックでした。それは、この学校に来る前の4年間は日本の保育園に通ってたからです。初めての学校のストレス等のそのまた上に考え方のぶつかりでとても大事な思い出ができました。「日本とフランスの考え方はとても違う」と言う思い出でした。だがその時は、僕は、全部の国が違うということがわからなくて日本とフランスだけだと思っていました。
 3年生になった時はアメリカに引っ越しました。学校はフレンチスクールに通っていました。アメリカでは、僕みたいにフランスから来て英語をしゃべれない友達がたくさんできましたがまた考え方のぶつかりがありました。そのぶつかりを起こしたのは、アメリカの大きさでした。例えば普通に大きい車や家などもありましたけれど、1番衝撃を受けたのはコストコというとても大きいショップからです。僕の家から1番近いコストコは迷子になれるほど大きくて物をとても大きいバックでしか売っていない場所です。例えばパンを20個とトイレットペーパー40個ごとにしか売っていません。アメリカでは何度も「アメリカ本当にめちゃくちゃな国だなぁ。」と思いました。けれどもただその国の考え方が違うとわかり始めました。
 そして最後に6年生になったときは、また新しい学校に入れられました。LFIT。そこに着いた日にすぐ友達ができました。それはきっと違う国の考え方を混ぜて自分だけの考え方ができたおかげだと思います。今回は全然ショックを受けませんでした。それも、また、アメリカ、日本、フランスの国々で違う人をたくさん出会ってもう人をそのものをそのまま受け入れることができるようになったからです。だが、まだ時々「なぜ」と思う時もあります。例えば、なぜ制服を着なければならないとか思います。それは、僕の目では人の違いをなくそうとしようとしているからです。それは人々はどうせ違うのでみんな同じにするよりその受け取った方がいいと思うからです。だが日本ですごいなぁと思ったものもあります。それは自由です。僕はアメリカから来てすごく自由に感じました。例えば、アメリカは危なくてどこにも行きませんでした。けれど日本ではスケートパークも友達の家にもいつでも行けてとても自由に感じました。それでやっとフランスと日本の違い、アメリカと日本の違いとフランスとアメリカの違いがわかりました。
 この違う国からの大事な思い出のおかげでこのことをわかりました。国はいいか悪いからではなくてただ違うだけなこと。そして、自分が渡ってきたことが自分を作ることもわかりました。僕はこの小学校後6年間様々な国に行ったり、様々な学校に行ったりして、僕に何がいいか悪いか教えてくれて、僕が今何を思って、言って、やっていることを決めていることもわかりました。

息子に伝えたかった一番大事なこと

それは、
  みんな違ってみんないい
  自分にとって何が大事かを考えて、志を持って生きていくこと

作文を読みながら、異文化に育ち、え?とか何で?とか思いながらも考えて、結局、自分なんだなと息子なりに考えているのが嬉しかった。

継承語としての日本語教育

  一つのゴールに達したかも
この作文を読んで、息子も私もよくここまで頑張ったなと、初めて思った。
うちは生まれたとき、日仏バイリンガルに育てると決めている。
そして、小6までは親の意志と責任で日本語で読み書きできるまで頑張り、その後は、子供の意志も尊重することにしている。
でも、長女(中3)に比べて、息子の日本語についてはいつも心許なさが付きまとっていた。
私にもフランス語で話しかけてくるし、作文に関しては最近はほとんど書いたものを見ていないので。
でも、いざとなったら、日本語でここまで自分の言いたいことを書けるなら、もう親の責任は果たしたかなと。
もちろん、足りないところを言い出したらきりがない。
  語彙の稚拙さ
  漢字
  文章のねじれ
でも、
  構成
は素晴らしいし、何よりも
  自分の思いを伸び伸びと表現している
あとは、本人が必要だと思ったときに、必要なだけ日本語をやったらいいかなと思う。

マルチカルチャーの息子がたどり着いた先

タイトルの答えは…
  違いを受け入れ、自分らしさを大切にすること
と、それを
  自分を表現するための最小限の日本語
でした。

今回ばっかりは、誉め言葉でだけで終わらせてあげたいけど、
  「思い出」は「経験」と言い換えた方がいいよ
と言っちゃいそう(笑)