世界の学校から

風来坊が綴る、世界の教育現場のあれこれ

16歳娘、バイリンガルとしてインタビューを受けるの巻

ファシリテーターを務めるマルチリンガル漢字指導法研究会のメンバーからのご要望 

 

  既に漢字イヤイヤ期を脱したお子さんの生の声を聞きたい

  各発達段階で子供はどのように感じ、周囲はどのように支えたのか知りたい

 

に応えるべく、うちの娘が、インタビューを受けることになった。

 

 

主なインタビュー内容

日本語が嫌になった時期があるか?

どうやってそれを乗り越えたのか?

日本語を勉強して良かったと思えた瞬間はあるか?

漢字をどのくらいまで使いこなせるか?

漢字に対してどういう勉強をしたか?

親が~してくれたから漢字学習が続けられたということがあるか?

高学年になり日本語で読書するのが難しくなった時どうしたか?

日本語を学ぶモチベーションは何だったか?

日本語を現地語とバランスよく学ぶことができたか?

保護者や後輩にアドバイス、言ってあげたい事は何か?

 自分の子供に日本語を継承したいか?

 

親の言い訳

 

インタビューの中で、娘が涙目で訴えることに、

 

「中学の時、やりたくないならやめればいいと言われたのが辛かった。」

 

というくだりがある。

正確には、「宿題をやらずにただ惰性で補習校に行くのはやめなさい。宿題をやりたくないのであれば、やめなさい」です(笑)

本人としては、「やりたくないけれど、やらなくてはいけない。でもやりたくない。」なので、慰めたり励ましたりして欲しかったんだと思う。

当時は、アメリカに住んでいて、英語もやらないといけなかったので、もう少し寄り添ってあげるべきだったかな~反省。

 

でも、これは私なりに本人の性格(親に言われたことと反対なことを言いたくなる、負けず嫌い)を見越して、していた選択でもある。中学に入るときに、「補習校続けるか続けないかは自分で決めていい。そのかわり行くのだったらただそこに行くだけというのではなくて、宿題をきちんとやらなくちゃいけない。」と話して、自分でした選択なのだからと、結構突き放していたなと思う。

 

小学校のうちは、「親の選択」を押し付けているという引け目も少しは感じていて、親のためでなくどこかで自分なりに日本語を学ぶ意味を見つけてもらわないと、と焦っていたこともあるかもしれない。

 

ちなみに、現在、中一の息子に、やめてもいいという選択肢はあげてない。

最近、それに気づいて娘がこそっと私に、「ママ、どうして弟にはやめていいって言わないの?」と聞いてきた。

答えは簡単。

同じ歳だけれども、同じように精神的に発達してるわけでは無いので、今、息子にやめてもいいと言ってしまえば辞めちゃうから!

 

新しい発見

 

  親は中2まで子供に伴奏すべき

 

というのが娘の口から出てきたこと。

私は、小六までは親が責任をもって舵をとるべきと思っていたけれども、本人の経験から、小六が早すぎるということがよくわかった。今、中一で正しく!第二次嫌々期に入っている息子に、私よりも娘の方が熱心に、

 

  今は大変、でもやめないほうがいい、もう少ししたら楽になる

 

と説得してくれるほどである。

 

 16年間を振り返って

 いろいろ反省することはあるけど、それでも、やってよかったなと思うこと。

 

 

①確固たる方針を貫くこと

 

  私が私である事を確認するために日本語が必要

 

みたいなことを日本語を学ぶ意義について、娘はインタビューで答えていた。

これは、まさしく私が2つの言語をきちんと教えたいと思った理由そのもの。

娘にそういうふうに話したかどうかよく覚えてないのだけども、娘の口から「自分が日本人であることを確認するために日本語が必要」という話が出てきてそれが彼女の日本語を学び続ける1つの大きな理由になっている事は、意外でもあり嬉しいことであった。おそらく息子はそういうタイプではないので、これから日本語を続けるとしたら別の動機付けが必要なんだと思う。でも、親として何か1つゆるぎないもの持っていると、子供に伝わるか、子供がそれを押し倒して別の何かを見つけるかにつながるんではないかなと思う。

 

 ②子どもを見ながら絶え間なく日本語を学ぶ環境整えること

幼いころの読み聞かせはもちろん、定期的に補習校に通ったり、日本の一時帰国時には、学校に通ったり、同じような状況の友達とプレイグループを企画したり、毎朝、日本語を勉強するようなルーティンを作ったり、年に1度は漢検をセッティングしたり…すごくよく考えてやっていたわけではないけれども、途切れることなく子供の様子を見ながらできることを最大限にやってきたなとは思う。

いろいろ忘れちゃってたけど、娘の話を聞きながら、それが全てなんらかの形で活きてたんだなぁと感慨深くあった。

 

最後に…全体として思ったことは、私は

 

  継承語としての日本語教育をひたすら母語に近い形

 

で行ったんだぁということ。

夫の仕事であちこち住むことになったけど、日本語とそしてもちろんもう一つの母語、フランス語が学び続けられるということを第一条件に、仕事や住む場所を選んできた。

 

でも、それはすべての人にできるわけでない。

仕事や経済的な負担で住む場所や一時帰国を選べない人もいるし、パートナーとの関係で日本語にそんなに力を入れることができない人もいる。近くに日本語の教育機関や友に励まし合える仲間がいない人だっている。

私やうちの子供たちは、本当に恵まれてきたんだと思う。

 

うちの娘の話は、そういうわけで「外国語に近い形で継承語日本語」を学んでいるご家庭にはあまり参考にならないかもしれないけど、何らかの形で読んだ方が自分の継承教育の方針について、考えるきっかけになったら嬉しい。