昨日、バイリンガル育児はかっこよくも、楽でもないことを書いた。
水田さんの講演の中で親の負担を具体的、端的に示してくれ、ふんふんと頷いた。
①子供も親も学習に2倍の努力、時間が必要
②レールがないために決めることが多い
③どちらの言語も100点にはならないけど、足し算で考えて励まさないと
①子供も親も学習に2倍の努力、時間が必要
学習に時間がかかる、まあ、これは当たり前。
問題は、目に見えない仕事も増えること!補習校に行かせていると、PTAの仕事、子どもたちのプレイデート(しかも、大抵は遠方に住んでいるので送り迎えが必要)など、
②レールがないために決めることが多い
一つの国にいれば、その教育システムに則って、せめてよりいい学校くらいの選択の幅しかない。だけど、バイリンガルの場合、そもそもその言語をやるか、どの程度やるか、どの学年まで頑張らせるか、どこから自分で判断させるか、家でどの程度それぞれに時間を割くか、何語で話すか…等、全部親が決めないといけない。
例えば、うちは、日仏家庭で在米。
フランスバカロレアを日本語オプションで受けさせるという選択。
渡米が決めた時、「フレンチスクール」「土曜日日本語補習校」という選択。
その後、フレンチスクールで強烈な「英語強化プレッシャー」を受けても、揺れずに
「うちは、両親の言葉を最優先します。英語は第3です。」
と言い切る選択。
「こどもが可哀そうという周囲のプレッシャー」を跳ね返す選択。
誕生会によばれて補習校を優先するか、友達を優先するかの選択。
もう、選択選択…の連続。
子どもの意志を尊重なんて、言ってられない。
この国の大学受験のシステムのせいで、こんなことを覚えないといけないと言ってられない。
親が自分たちで自分たちの価値観に照らし合わせて決断、リスクを取って責任をとる。
③どちらの言語も100点にはならないけど、足し算で考えて励まさないと
バイリンガルの途中では、どんなに優秀な子でも、二つの言語において、それぞれ100点ということにはならない。仏:75点、日:60点というような感じ。一つの言語に集中して入れば、120点位取れそうな子でも。
どちらの学校の面談に行っても、
「あと、ここをもう少し頑張れば、もっと上に行けるのですが」
といわれる。そして、子ども自身が一番それに地団駄踏んでいる。
でも、水田さんの話で、腹落ちしたのは、
「足したら、135点ですよね!?」
ということ。そして、その足し算をしてあげられるのは、両方の学校の頑張りを見てあげられている親だけ。
最後に、水田さんの表現でふっと気持ちが軽くなったこと。
「おおきなやかんは、ゆっくり沸いていく」
今日も、自分と子供を励まし、前進!