ほっとけば子供には引き継がれない言語「継承語」の伝授は親にとっても悩ましいものだ。
いつもどこか引け目を感じる
何らかの理由で、教えない、教えられない場合…
親は、ものすごく引け目を感じる。
で、教えたら教えたで…やっぱり
引け目を感じる
という、悩ましい言語なのだ。
なんでか。
まずは、教えなかった場合。
で説明した通り、「人にその言語の母語話者と思われる言語」なので、
どこかの場面で子供は「恥ずかしい思い」をするか、
外国語を学ぶ年齢に達した時にその大変さに気づき、
「子供の時にやっていればもっと簡単だったのに!」
と思うからだ。
よく聞く親子のやり取り
「どうして、やらせてくれなかったの?」
「やらせようとしたけど、あなたがやりたがらなかったじゃない!私はあなたの意思を尊重したのよ。」
「やりたがらないって、そんなの子供なんだから当たり前でしょ。子供の時に、もう一つの言語を学ぶ価値なんて、わかるはずがないでしょ。」
次に、教えた場合。
教える度に絶え間ない子供との葛藤。
「どうして、私だけ、二倍勉強しないといけないの?」
「頑張っても頑張ってもいつも落ちこぼれ」
「補習校のせいで、誕生日会にいけない!」
「補習校のせいで、集団スポーツができない」
(集団スポーツを選んだら、補習校が中途半端になるというジレンマ)
教える時間を確保するために配偶者や義理の両親との摩擦。
「週末ゆっくりする時間がない」
「休み中にも勉強させてかわいそう」
「子供はもっと伸び伸びと育てたほうがいい」
そして何よりも自分自身との葛藤。
「ここまでやっても、補習校では落ちこぼれ」
「もっとほかのことに時間を割いた方がいいんじゃないか?」
「子供が日本語を嫌いになってしまった。私のやり方は間違っていた?」
「子供のために家では日本語で通してきたり、日本人の友人と多く付き合うようにしてきた結果、自分の現地語能力が伸びず、時々落ち込む」
「子供の継承語教育に時間がとられる分、自分のキャリアがおろそかに」
本当に厄介な言語だ(笑)
正解なんてない。だから、
自分でゴールを決めて、周りの意見に柳のようになびきながらも、
決して柱の部分は動かさず、
やるしかない。
20年以上、いろんな人に助けられながら、ライフワークとして継承語教育について考えてきたから、今度はお手伝いする側に回りたいと考える今日この頃。