世界の学校から

風来坊が綴る、世界の教育現場のあれこれ

98部首かるた②〜手に関する部首

前回に続いて、98節カルタを使って、手に関する部首の導入にチャレンジした。

 

 

edu-kachan.hatenablog.com

 

 

お勧め対象児

  • 小1~2年生の基本漢字、会意文字の仕組を大体わかった子
  • 小3~小4で漢字が覚えるのが難しくなりつつある子

使う目的

  • 蓄えたバラバラの漢字の知識を部首という視点で整理して、漢字を部品の合成分解という視点でとらえなおすこと
  • 漢字の部品(部首)には、意味があることを理解する。

 手順

①手に関わる部首カルタの取り札の本を見せて、知っている部首はあるか聞いてみる

 

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②古代文字に注目させ何か気づく事はないか聞く

  「てへん」と「つめかんむり」はわかりにくいので、脇によけておくと良い。

  「ヨ」に似た形がどの字にもあることに気づくはず!

 

③古代文字の共通の部分が何を表しているか予想する

  この「ヨ」に似た部分は何をあらわしているかな?と言いながら  

  取り札と背中あわせでくっつけてある読み札を順にめくっていく。

 

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  これはすべて、手に関する部首だということに気づく。

  それぞれ、形、部首名、どんな漢字に今使われているかを確認する。

 

④ゲームで遊ぶ

  教師がジスチャーで表したカードを取る
  子供がジェスチャーをして教師がカードを取る

  読み札と取り札をセットにした神経衰弱で遊ぶ

  普通にカルタ遊びをする

小1娘に試してみました!

youtu.be

 

気付き

  • 前回は体、今回は手というように、カテゴリーごとに導入していくのが、枚数的にも、共通点、差異点を意識するのにも有効と感じる。
  • 子供自身が「つながり」を発見できるような発問を投げかける。
  • いろいろなゲームをして目先を変えて飽きないようにさせながら、部首の意味、名前、形に接触する回数を多くするとよい。
  • 無理のない程度に、この部首が使われている漢字に触れることで、「意符」としての部首の意味に少しずつ慣れることができる。

 

部首指導が必要なわけ

部首名と形を覚えることは、小学校3年以上の

 

  複雑な形の漢字を部品の合成と捉えて、唱えて覚えることを可能

 

にするから。

 

唱えて覚える漢字カード、「ミチムラ式カード」は、小学校3、4年生位から威力を発揮すると感じているが、その前提として漢字の部首(部品名)を覚えておかなくてはならない。

 

それが、海外で育ち子供にとっては、漢字を覚える上に、さらに別のものを覚えなくてはいけないというように捉えられて、うまくいかないことが多かった。でも、こんな風に1,2年生の頃から遊びながら部首に触れていれば、抵抗なく導入できるのではないかと思う。

 

 

 

98部首かるた①〜体に関する部首

手元にあるものの使う対象がおらず、眠っていた98部首かるた。

小6甥っ子(自閉症スペクトラム障害でやや知能に遅れがある)のために使ってみることにした。うちの小1の末っ子にもまだ早いかなと思いつつも一緒にやってみた。

 

 

 

 

お勧め対象児

  • 小1~2年生の基本漢字、会意文字の仕組を大体わかった子
  • 小3~小4で漢字が覚えるのが難しくなりつつある子

使う目的

  • 蓄えたバラバラの漢字の知識を部首という視点で整理して、漢字を部品の合成分解という視点でとらえなおすこと
  • 漢字の部品(部首)には、意味があることを理解する。

 

このカルタの作り

このカルタは、全部で10種類のグループに98部首が分けられる。

その中で、今回は「体」からできた部首カードを取り上げることにした。

 大きな流れは、

 

  導入--記憶--ゲーム

 

である。

  

手順

①今日は漢字のパーツである「部首」勉強することを伝える。

②大きな紙に簡単に体の絵を描き、そこにそれぞれの部首名を読み上げながら置いていく。

  この時、読み札と取り方を背中合わせにクリックしておき、

  裏を見せたりその説明を見せたり)しながら並べる。

  (自分もカンニングできる!)

③場所をよく覚えるように行って少しお時間を取った後、カードを集める。

④カードをもう一度考えながら元の場所に子供に置かせる。

  教師は、横で部首名をつぶやくようにする。

  子供はわからなければ、裏を見てそれをヒントにしながら考える。

⑤読み札と取り札をバラバラにしてゲームとして遊ぶ。

  神経衰弱

  カルタ取り

 

実際の子供とやったビデオは、「真っすぐ並べるこだわり」逆らえなかった甥っ子のために、脱線したため(笑)、後で一人でとりなおしたビデオをどうぞ!

 

www.youtube.com

子どもと一緒の時は、子供が絵に色々書き足したがったりするので、それも楽しみながら一緒にやりました。

 

気付き

 「部首が表す意味」と「部首名」に焦点を当てて、後はとにかく

 

  楽しく遊ぶこと

 

に徹した。

小1娘にはまだ早いかなと思ったけど、覚えさせようと思わなかったのがよかったのか、娘はゲームとして楽しんだ。その後、日常生活で知らない漢字に出合っても、

 

 「あ、この部分知っている!」

 

とか言うようになった。こんな風に、「この漢字習っていない、知らない」ではなくて、

 

  少しでも知っている漢字の部分に目を向ける姿勢

 

が身についてきたことが何よりもうれしい!

 

甥っ子は日常的に変化を見てあげれないのだけど…毎回会うたびに、ごそごそと漢字グッズを出してくる私に慣れてきて、嫌だ!と言いつつ(笑)嫌がらずに、漢字遊びをするようになってる。

 

使い方次第で、導入にも定着にもゲームにも復習にも使えるこのカルタは、本当にお勧め!

ただ、海外在住の子供たちにはやはり、読み札の日本語が難しいかも。

 

 

長男、はじめての日本の中学校体験入学!

この夏、長男も初めて、日本の中学校に一か月、体験入学をさせてもらった。

最初は、制服の窮屈さを嫌がったが、すぐ慣れて、あまり文句も言わず通った。

もともと、学校であったことを家で話すタイプではないけど、年頃になり益々話さないので、日本の中学校をフランス、アメリカと転々とした息子がどう感じるのか、あまり聞き出せず、残念。だけど、印象的だったことをまとめておく。

 

 

息子の気づき

  「やたらと先生に会うね、日本の中学校」

 

というのが、一週間目くらいの息子の感想。特に担任の先生とホームルームで、朝夕、会うことが驚いたらしい。

フランスの学校も担任がいて、一応、週に一度くらいはホームルームの時間があるみたいだし、問題があったときは担任が架け橋になってくれることにはなっている。だけど、基本的には教科担任以上のかかわりはほとんどない。

 

それはね、日本の学校のいいところだとママは思っているよ。先生の役割は、生徒に知識を教えるだけでなく、もっと、その子全体を見守っていて、困っていることないかな、悩んでいることないかなって見てくれているんだよ。そういうのって、毎日見ていないと気づかないから。

 

と説明したら、「へぇー」と驚いていた。

 

先生から見た息子

担任の先生からはどんな風に映ったんだろう、うちの息子、と思って聞いてみたら、

 

  信じられない位、普通に馴染んでいます!

 

との事。係活動なども、他の子より積極的にやってる位ということで、一安心。

考えてみれば、中1で知らない人ばかりの学校に放り込まれるって結構きついはず。

でも、そういう場所でも、適応してるってすごいことかもしれない。

 

私がうれしかったこと

  社会のテストをきちんとやったこと

 

特別扱いしないで結構です。といったので?普通に他の子と同じようにテストもうけていたらしい。本人が悲惨な点の地理のテストを持ってきた!

悲惨な点だけど、私はすごく嬉しかった。

 

  わからないなりにも、自分ができるところを解いていること

 

海外の補習校では、漢字テストなど、もうやる気なく突っ伏してしまう子もいる中、必ずしも本人が行きたくて行っているわけではない場所で、自分ができることをちゃんとやる、ってすごいし、大事なことだと思う。だから、めちゃくちゃ、褒めた。

 

  ママの褒めるところって、よくわからない。

 

と言いながら、ちょっと嬉しそうな息子。

 

昨日は、最終日、「やっと夏休み!」と万々歳の息子に、

 

先生も大変だったことを忘れないで!

こうやって不定期に体験入学の子を受け入れることで先生の仕事は増えたのだから。

嫌な顔一つせず、歓迎してくれたのは本当にありがたいこと。

きちんと、お礼を言いに行ってね。 

 

とくぎを刺して送り出した。

本人はまだまだ言語化できないだろうけど、学校という場でしか学べないことを学ばせてもらっているはず。

体験入学を受け入れてくださっている学校、先生に感謝です。

 

 

小一の娘、辞書との出合い!

日本の国語教育で辞書に出合うのは、小学校3年生。なので、まだ早いかなぁと思っていたのだけれども、

 

マルチリンガル漢字指導法研究会

learnjapanonline.com/multilingual-kanji/

 

で出会った、輝美先生のご指導のもと、娘は国語辞典に出合うことになった。

 

因みに、輝美先生は、

 

  深谷圭助先生の辞書引き http://www.jishobiki.jp/

 

から学ばれたようです。

 

そのスモールステップの指導と娘の変化があまりに素晴らしいので、たくさんの人とシェアできたらと思う。

 

 

スモールステップで国語辞典に親しむことから


国語教育で3年生に辞書を使うのは、辞書の本来の目的

 

  わからない言葉を引く

 

ために、五十音に沿って言葉を調べていくのに、小3程度の発達段階が必要

だからである。

でも、輝美先生は、その前にスモールステップを用意する。まずは、

  •  辞書を無造作にパタンと開き、そこで知っている言葉を1つ見つける
  • そこにその言葉を書いた付箋をはる
  • 言葉の下に書いてある解説を読んでも読まなくてもいい。 
  •  

学習の過程を可視化する

  

  付箋を貼る

 

というのが、子供には目に見えて、自分の頑張りが見えるので、やる気をそそる。

 

  • 通し番号を付ける方法、
  • 5枚ずつ先に付箋を用意して、裏表紙のところにつけておく

 

というのも、継続した学びを支える仕組みとして素晴らしい!


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目標を設定する

授業の中で一緒にやれる数はたかが知れているので、それを家庭学習で展開してもらわないといけない。

で、輝美先生のアドバイスは、

 

  1000枚達成したら1000円分のプレゼント

 

これ、見事に「馬ににんじんをぶら下げる」感じで効いている!

娘は、何をもらうかの方にばかり、気が行きがちですが(笑)

 

少しずつレベルアップ

そして、1-2か月のウォーミングアップの後、

 

  目的の言葉を探す活動

 

へ。ここでも、わからない言葉を調べるのではなく、

 

  しりとりで出てきた言葉をみんなで探す

 

というスモールステップぶり!

これがすこぶる楽しそうな娘。

 

子どものつぶやきを見逃さない

そうこうしているうちに、

 

  でも辞書ってわからない言葉ひかなきゃ、意味がないんじゃ?

 

と娘が言い出した。

なので、これはチャンス!とばかりに飛びつき、

 

  いいことに気づいたね!

  じゃあ、今度、わからない言葉が出てきたときに調べようね!

 

とした。

今朝、久しぶりに手書きの手紙を書いていたら、一瞬「追伸」の「シン」の漢字に不安がよぎった私(汗)

大げさに、「この字、どうだったかな?」おもむろに、娘の横で辞書で調べ始めたら、

 

  私が引いてあげる!

 

と言って調べてくれた。

 

  ママも手伝えたし、

  解説読んで新しい言葉覚えたし

 

と喜んで朝、学校へ出かけた。

 

いい先生に出合えて有難いけど、最後の一押しは

 

  やっぱりそばにいる親

 

だよなぁと思う。

いっつも、朝はバタバタして余裕がないけど、子供の伸びる芽をうまく支えて、寄り添ってあげるくらいのゆとりはもたないと強く思ったのでした。

インターナショナルスクールの良し悪し

6年間の海外生活から日本に戻ってきて、インターナショナルスクールに入った長女16歳。もうすぐ1年になる。

本人の言葉から考えるインターナショナルスクールの良し悪しについて書きたい。

 インターナショナルスクールのいいところ

 

  同様な子に囲まれ、精神的な安定を得られること

 

本人曰く

授業中にわからない漢字が出てくるでしょ、でも、全くわからないのではなくて、こんな感じというのはわかるの。そのわかる部分だけ書いて、隣の人に回すと、その人も完璧な漢字はわからないのだけど、ある部分はわかるの。そうやってクラス全体で書き足すと一つの漢字が出来上がる!そういう感覚は初めてで嬉しい。

そういった言語能力面のちぐはぐさといった悩みに共感できるのは、海外補習校で日本人の子供たちに囲まれ、いつも日本語にコンプレックスを持っていた娘にとっては、とても嬉しいらしい。

インターナショナルスクールの悪いところ

それは、ほとんどの子が2つの言語を理解するので、

 

  ちゃんぽんで話すこと

 

フランス語で喋っていても、とっさに言葉が見つからないと、その部分だけ日本語に置き換えてしまう。そして、それが楽なのでどんどんそれに慣れてしまうこと。

 

今まで、私と話すときには、必ず日本語だったのに、フランス語になったり、言葉をちゃんぽんにしたりし始めている。

 

本人曰く、

自分もちゃんぽんに慣れてきてしまっていると感じる。前はそういうのがすごく嫌だったのに。周りがみんなそうだから。東京に来て、自分の日本語がすごく伸びたなって思って嬉しいのだけど、もしかしたら、仲間内だけで通じる日本語力なのかも。

そういえば、日本帰国が決まって一番喜んだのは長女だった。

アメリカでフレンチスクールに通い、英語も学ばないといけない、学びたいという状況下で、自分の日本語力がどんどん落ちていくことに焦っていた娘。

 

マルチリンガルにとって、この

 

  言語間のバランスをとる

 

ということは難題だけど、「やっぱ、ちゃんぽんしないように気をつけよう!」という娘に成長も感じた。

ずっとインターナショナルスクールだけで育っていたら、こうは思わないのかもしれない。多様な場所を経験して、その時その時自分の言葉と向き合う娘を頼もしく思う。

 

私自身もフランス語とちゃんと向き合おうと思う今日このごろ。

 

ブックレビュー「私も『移動する子供』だった」

最近、幸せだなぁと感じる事は。

16歳の娘と日本語の本をシェアできること。

最近シェアして良かった本がこれ。

 

  

 

 

お勧めの人

  • 移動する子供
  • 移動する子供の親

両方にお勧めの本です。

 

主な内容

早稲田大学日本語教育科の教授が、移動する子供が異なったが言語の間でもつ葛藤やそれを乗り越えた先を探るべく、「移動する子供だった」大人ににインタビューするというものだ。合計10人にインタビューをしている。

  • どのように二つの言葉を習得したのか
  • 思春期に二つの言語の間をどのような葛藤にあったのか
  • 彼らを囲む社会がどのように彼らの言葉に対する認識に影響したのか

等が、川上教授の優しい語り掛けに彼らかが応えるうちに浮かび上がり、温かい気持ちになる本だった。

 

移動する子供の親である私の感想

読み終えたときの感想は何といっても、

 

  日本語読み書きレベルで教えてきて良かったな

 

ということに尽きる。
今回紹介された人の言語力はそれぞれだけれども、誰1人、自分の引き継いだ言葉が学ばないことを後悔こそすれ、学んで良かったと思っているからだ。

 

  いつか、アイデンティティーに悩んだ時に言葉があれば救われる

 

と漠然とでも明確に持っていた私の判断は間違えていなかったと思った。

 

胸を撫で下ろしたのは、

 

  高校生ぐらいから自分の言葉を客観視するらしいこと。

 

自分のルーツがある言葉の習得にそんな積極的でなかった子供たちも、このぐらいの歳になると学びたいと言う欲求は内側から沸き起こってくるようなのだ。

 

「高校生になったら、学習のことを口出ししない」

と娘に約束して、実行しているものの、本当にそれで良いのかなぁと内心不安だった。だけど、改めて、ここまで来たら、伸ばすもとりあえず横に置くも、本人が決めていくことなんだって思った。

 

インタビューに登場したFIFIさんのように、

 

  やりたいことより、やれることを選ぶ

  やりたいことを選んでも求められていることは違う

 

など、社会と対話しながら、逞しく生きる道、生きやすい道を選んで歩んでいってほしいと思う。

 

移動する子供真っ只中の娘の感想

  • 私とおんなじ人は誰もいなかった
  • 私は自分の言葉を封印しようと思ったこと1度もない

というのが初発のことば。

なので、それは、

 

  とても恵まれていることなんだ

 

と話した。フランス語も日本語も、それぞれの国で話せるとなると高く評価されるしかっこいいと思われる。それが語学学習のモチベーションにどれだけなるやら!

 

その後、部分部分で彼女が共感した部分を話してくれた。

  • 外国人顔をうまく利用して、町でしつこく話しかけられた時は英語で返す。
  • 日本で育っている人より、日本に対する愛国心があると思う。
  • 両方とも自分の言葉だけど、一つにはいつも少し自信のなさが付きまとうこと。
  • 二つ国の人間だけど、自分は自分と言いきれる人がいたのはすごい。

  

日本語を読み書きレベルまで学び、こうして先人の生きざまを言葉で引き継いでくれることを本当に嬉しいなと思う。

 

教師の指導が必ずしもプラスにならない話

「25メートル泳いでみせる!」

末っ子6歳がそう言って、土曜日スイミングに連れて行ってくれとせがんだ。

スイミングを習っているのだけれども、ビート板に腰浮き輪を1つつけて息継ぎの練習をしているところなので、とても25メートル泳げるとは思えない。

スイミングの先生があまり好きではなく、

「25m、泳げるまではおぼれたときに死んでしまうので、嫌でも頑張って」

という私の言葉を受けてのことだ。

 

結果、近くに親がいないと溺れてると思われて、救助の人が飛び込む位の泳ぎだけれども、泳ぎ切った。

まだ息継ぎができないので、苦しくなるとくるっとまわって背面うきをしてしばし休みながらそれでもクロールらしき動きで、25メートル泳ぎ切ったのである。

 

「自分を誇りに思う」

と言う娘に、私は心底嬉しくなった。

 

私がスイミングを習わせている理由は、

  速く泳ぐため

  きれいに及ぶため

ではない。いざと言う時に溺れずに岸まで取り付く力を身につけたいから

 なので、もう目標は達成したことになる。

でも、ここまでくると、もう本人が辞めると言わなくなった(笑)

 

この一件で、

  どうして私はできるはずないと思い込んでしまったかなぁ

と反省した。

おそらく、

 

  本人に泳ぐ機会を与えてなかったこと

  泳いでる途中に先生が支援を入れることが原因だと思う。

 

もちろん先生はそれが仕事なので仕方ないと思うのだけど、

 

  指導のつもりが生き生きと伸びてる芽を横からちょんぎっていること

 

あるよなぁと自分を戒める機会となった。