世界の学校から

風来坊が綴る、世界の教育現場のあれこれ

モンテッソーリ式の底力を知る

アメリカでも、フランスでもモンテッソーリ式の幼稚園が人気だ。

しかも何故か、モンテッソーリ式の幼稚園ではバイリンガル教育をやっているところが多いので、高い社会層の子達に人気がある。 

私はと言えば、自分の子供入れたいと思った事は1度もない。理由はいくつかある。

 

  学費が高い

 

子供の自由な探索を観察し、意味づけて、支援していくような作業を教師がするとなれば、当然教師1人が見える子供の数は限られるため、学費が高くなるのは当たり前だとは思う。

 

  モンテッソーリ式を本当にうまくできるのは、かなり力量のある教師だけ

 

でも、本当にそんなに力量のある教師に出会えるのかと思ってしまう。もし力量に限りがある教師が担当したら、子供はあまり新しいことに出会うことがないまま、自分の興味の範囲からグルグル回っているだけではと思ってしまうのだ。だったら、

  当たりはずれの大きい創作料理屋より、マニュアルがある吉野家の牛丼

でいいと思ってしまう。

 そもそも、モンテッソーリ式は高い実績を残していると言われるが、高い社会層の子供しか入れないのだから、元々、能力的、社会的に恵まれている子供たちなわけだ。能力が高い子が、恵まれた環境を持てば、高いパフォーマンスを発揮するのは当たり前だし、逆にどうやったら失敗するのかの方が興味深い。

 

  高い社会層の人たちとしか出会えない

 

のも、どうかなと。小さい時こそいろんな社会層の人に出会ってほしいと思う。

勉強がどんなに頑張ってもできない子や親が十分に子供にかまってあげられない子…いろんな子だ。

ところが、学費が高ければ、入れるタイプの子は限られる。教育に熱心な親が集まるだろうが、似たような子ども、親が集まったところで、安心感はあっても、新しいものは生まれないように思ってしまうのだ。

 

  集団行動を教えられるのは小さいうちのみ

 

モンテッソーリ式を選ぶ親御さんは、「小さい時には社会規範に縛られず、のびのびと育ててあげたい、個性を伸ばしてあげたい」とおっしゃるのだが、

  社会規範はお互いが気持ちよく生きていくための作法みたいなもの。

これは、ある程度、小さい時にしか入っていかないと思うのだ。集団の中では、自分の思い通りにはいかない、他の人は自分と違う価値観を持っていると気づくなど…。

そもそも、

  個性というのは、大人が大事に育てるものではなくて、

  叩いても叩いても伸びてきてしまうもの

と考えている私。集団生活の中で他人(先生や友達)と触れ合ったり、ぶつかり合ったりする中で、自分の個性に気づいていくものと思うので、私には合わない。

 

最後の理由は、モンテッソーリ式で幼稚園を過ごしてきた子は、その後

 

  自分の興味外の人の話をあまり聞かない傾向がある

 

という巷の評価。先入観はよくないと思っていたが、主催している「継承子としての日本語教室」の約半数がモンテッソーリ上がりの子供たちを通して、あながち間違ってないなと思ってしまった。

 

正直、最初はすごく手を焼いた。アクティビティーを「さあ、やりましょう」と言っても、

  「僕はそれをやりたくない」

  「やりたくないのにどうしてやらなくちゃいけないのかわからない」

「やってみたら面白いかもよ」と言ってもちっとも乗ってくれない。

こちらは、モンテッソーリみたいに手厚い体制でやってないし、限られた時間で少しでも日本語をみんなに教えなくちゃいけないので、あの手この手で頑張ってやがて、少しずつ慣れていったが、話が聞けないと損するよなぁと思ってしまった。

工作などしていても、こちらの話を全く聞かずにやりたいようにやり始めるので、失敗も多くなり、それでも粘り強くやってくれれば良いのだけど、時間も限られているし、途中でポイっと投げ出してしまうことも。

 

前置きが長くなったが、そんなこんなで、私の中でやっぱりモンテッソーリはなぁという気持ちが核心に近づいてしまっていたある日、それを覆す出来事があった。

 

教えている日本語教室で、絵本の読み聞かせの導入に

「お月様の絵を描いてみて」

と声をかけた。

 

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〇を書いたり、半月を書いたり三日月を書いたり…、どれも正解なんだねというのがオチになる予定。

 

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ところが、写真を見ての通り、モンテッソーリの子供たちはそれには乗らず、絵本の読み聞かせも聞かず、完全に自分の世界に入り、写真のような素晴らしい絵を仕上げたのだった。

 

「お月様」というお題だけで、これだけ集中して絵を書けるってやっぱり凄い。一方で、簡単なお月様だけ書いて先生の次の指示を待っている行儀の良い子供たち。

 

うちの娘は後者で、こちらの意図をしっかりくみ取り?

後日、夜空を眺めて、

  「絵本で見た通りだね、お月さまの形って毎日変わっている」

と。

 

自分の興味関心から、とことん世界を広げていくモンテソーリ式の子供

人生の先輩である先生や異なる友達の話に耳を傾けながら、新しい世界を広げる子

 

どっちがいいって言えないよなぁ。

モンテッソーリ幼稚園出身の子は、その後、公立学校に進むと、求められるものが変わってくるので、苦労すると聞くが、幼児期に培ったこうやってこうした想像力や自分のやりたいことをやり通す力を持ち続けていくのかなと。そして、「人の話を聞く」ことのメリットも体得していくだろうし。

「人の話を聞きなさい」としつけられた子たちだって、人の話と自分のやりたいことをうまく織り交ぜながら育っていくに違いない。

 

あとは子供のタイプ次第かな。

よく日米仏のどの学校がいいか?

と聞かれるけど、やっぱりどれって言えない。それぞれがそれぞれの文化や歴史を反映して成り立っているわけだから。でも、外国の学校を知ることで、無意識に縛られている「当たり前」「普通」の罠から自由になれると思う。