世界の学校から

風来坊が綴る、世界の教育現場のあれこれ

読み書きレベルの日本語を継承という決断

親の言葉(日仏語)を読み書きレベルまで継承する

 

これが私たち夫婦が子供が生まれた時に決めたこと。 

上の子はもうすぐ15歳。これまで、その決断を変えようと思った事は無いけれども、日々、どれだけ語学に時間を割くべきか、頭を悩ましている事は確か。でも、最近2つの出来事があって、やっぱり私たちにとっては、この選択は正しかったと思えた。

 

1つ目は、日本領事館でパスポートをとっていたときのこと。

 

横で 20代後半位の女性がパスポートを受け取りに来ていた。「日本人」と書いたのは、外見も受付の人とやり取りする日本語も完璧に「日本」だったからだ。

 

ところが、「間違いないか最終確認してください」と言われ、ディスプレイを見始めた後、彼女はこういった。「すみません、私は漢字が読めないので、確かめることができません。1番上のこれはファーストネームということですか?」

それで、あー、日本国籍を持っているけれども、こちらで育った方なんだというのがわかった。

 

困ったときに、自分の使える「日本語で話す力」を使って、援助の依頼をして問題を解決してるわけだから、素晴らしいことには変わりない。でも、私だったら、自分の姓名、住所ぐらいは漢字でかけて、簡単なお役所仕事を自分の力でやりたいし、自分の子供にもそうなって欲しい。

なので、完璧にはならないけれど、

   読み書きレベルの日本語を継承

という選択は間違いじゃなかったなと思った。

 

もう一つの出来事は、行きつけの歯医者さんとの会話。

 

この歯医者さん、いわゆる日系3世にあたるのだけれども、お父さんが第二次世界大戦中日本とアメリカの間で苦労して

  「アメリカ人になる」

と決意したため、日本語は全く習わなかったし、何も言ったことが1、2度しかないと言う57歳の方。

 

でも、お客さんは日本人や日系人が多いし、受付の方もわざわざ日本準備をとっている感じだし、なんでだろうなぁと思っていた。それが、この前の会話で

  「ルーツなんだなぁ、血なんだな」

と、なんとなく合点がいった。

 

「日本に家を買おうかなと思っている。リタイヤしたら、ずっと日本というわけでなくても定期的に行けるように。日本語も学ぼうかと。」

「ずっとずっと疑問だった「どうして日本は太平洋戦争に突入したんだろう」という疑問が最近読んだ本でやっと腑に落ちた」

という話なども、日本の血が流れてなかったら、そんなに考えなかっただろうなって思うのだ。

 

ちなみに謎解きに役立ったというのはこの本

 

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どこに住もうが、「日本人である」という事は、一生頭の片隅にあるんだなと。

もちろん、この歯医者さんのように、自分がやりたいと思ったときに、日本語の学習をやるという選択もあり。でも、私は親として、

  自分は何者かと考えときの1つのツールとして、日本語を子供たちに授けたい

と改めて強く思ったのだった。